この世界の名が何なのか――。
それはここで生を受けた多くの者にとってさしたる問題ではない。
いかにして生き、いかにして名を成すか。
誰も知りようのないその方法を探して、冒険者たちは闇の中をさまよい歩く
。その腕に灯った己という名の松明だけを頼りにして――。
『ルナティック・ドーン／第２夜：吐息まじりの冒険者』
１
「真っ暗じゃねえか」
洞窟の中に入って俺はボリボリと頭をかいた。提灯を持ってくるのを忘れた
のだ。
「誰か提灯持ってるか？」
「何それ、右近？」
背後の仲間に声をかけた俺に、シャトナが尋ね返す。
「明かりを点ける道具だよ」
記憶しているだけで四回目の同じ台詞を繰り返す。
「ああ、トーチの事ね」
シャトナが背後で鷹揚にうなずいた。
わかったなら、さっさと寄こせと言いたくなったが、振り返った俺にシャト
ナはあっさりと首を横に振った。
「あたし、持ってないわ。誰かトーチ持ってる？」
シャトナはそのまた後ろのふたりに向かって尋ねる。
「トーチ？ そのような物は存じませんね。私の知っている中で似たような代
物ですとランプですが、あいにくと私は持ち合わせが――」
「わかったからもういい。誰か持ってないのか？」
マクティスが長々としゃべり始めるのに口を挟んで、俺は祈るように言った
。ここまで来て提灯ひとつのために街まで引き返すのはまっぴらだ。
「ああ、灯籠の事なんですね」
最後にうなずいて灯籠を差し出したのは麗香だ。
「ありがとうよ」
日出国流に深々とお辞儀をして、俺はずっしりと重い灯籠を受け取った。火
打ち石で火をつけると、ようやく洞窟がほのかに照らし出された。
岩肌がむき出しになった、かなり奥が深そうな洞窟だ。今回は依頼されたア
イテムを探して、この洞窟に当たりをつけたのだ。
「行くぞ」
俺は左手に灯籠を掲げ、右手で太刀を抜き放つと、先頭に立って歩き始めた
。
洞窟の奥に踏み込むと、曲がりくねった道がどこまでも続いている。
こりゃ長丁場になりそうだな。
俺は先を思いやって顔をしかめた。
それにしても……。
さっきの提灯だかトーチだかを巡っての会話を思い起こして、ハァァ……と
俺は深くため息をついた。
いつもの事だが、このうっとおしさは全くなくならない。誰も真剣に名前を
覚えようとはしないようだ。これも俺のリーダーシップのなさが原因かも知れな
い。
ため息を漏らしながら、じめついた洞窟を進んでいくとますます気分が落ち
込んでくる。
「なぁにため息ついてんの！」
わははと笑いながらシャトナが俺の背中を思いっ切り叩いた。殴ったと言っ
た方がいいような勢いだ。
「ぶっ！ 何しやがんだっ!!」
「あ？ ちょっと強かった？ ごめんごめん！」
シャトナが豪快な笑いを放って謝った。
この女は悪意があるんだかないんだかわからない。シャラバ国の奥地から出
てきたせいか、俺より三つほど若いくせに妙におばさん臭い。黙ってりゃ結構美
人の部類に入るんだがなぁ。
俺はもうひとつため息をついて、灯籠を背後に向けた。
浮かび上がったのはシャトナとは対照的に麗香の白くてほっそりとした顔。
文句なしに美人で五つも若いんだが、問題がない訳ではない。
その向こうにはしんがりを受け持つマクティスが見える。この中年を幾つか
過ぎた学者もかなり変人だ。
どうして、こう問題のある連中ばかり俺の周りに集まったんだか……。
原因を思い出して、俺は三回目のため息を漏らした。今回のはかなり深い。
気を取り直して進行方向に明かりを向ける。
その途端だった。
「右近、前！ ライカンスロープ!!」
シャトナが叫ぶ。
右近ってのは俺の名前だ。正確には《流行遅れの》横尾右近。この不名誉な
称号には訳があるんだが、今はそれどころじゃなさそうだ。
「なんだよ、そいつは!?」
叫び返しながら、慌てて太刀を構える。
いきなり襲いかかってきたのは三匹の狼男。
「ワーウルフですね。私が出るまでもないでしょう」
マクティスはタワーシールドののぞき窓から相手を見たのか、その場を動こ
うとしない。元々こいつは必要以上の重装備で自分の身だけ守り、よほどまずい
状況でないと魔法で援護してくれない。武器の類は何も持っていないのだ。どう
いう性格かわかるだろう。
もうひとりの麗香は両手をあわせてキャラキャラとした声を上げた。
「あら、かわいい野狗人だわ」
かわいい訳あるか！
「灯籠持ってくれ！」
俺は麗香に灯籠を渡すと、太刀を両手で持ち替えた。
「こっちは任せて！」
シャトナが声をかけてくる。
やっぱりこういう時に頼りになるのはシャトナだけか。
俺はまたもや漏れてくるため息を殺して、太刀を振りかぶった。
２
どうしてこんなおかしな面子でパーティを組む事になったかというと、事の
起こりは二月前にさかのぼる。
あれは忘れもしない雨の日だった。
その頃、俺はパーティも組まずにひとりで仕事をこなしていた。
とある街の宿屋の一画にある斡旋所に行って報酬を受け取った俺は急に降り
だした雨をやりすごそうと、酒場を探した。あいにく目についたのは賭博場だけ
。仕方なく賭事に興じていた三人組に混ぜてもらい、夜までの時間をつぶす事に
した。考えてみりゃ、それが運の尽きだった。
いや、もうその時にはすでに運は尽きていたらしい。
気がついたら計算するのも嫌になるくらい負けが込んでいた。ついさっきも
らったばかりの報酬を全額はたいても足りゃしない。自分でも知らない内に、額
に冷や汗が浮かんでいたかもしれない。
俺の様子を見た他の三人は額を寄せて何やら話を始めた。相談がまとまった
のか、ひとりが俺に訊いてきた。
「おまえさん、ひとりかい？」
うなずくと、三人は奇妙な笑みを浮かべた。今ならその笑みの意味は嫌と言
うほど身にしみて理解できる。
「それじゃこうしようぜ」
そう言って提案されたのが自分のパーティメンバーを三人、俺に引き渡すっ
て話だ。どうやらこの男たちは同じパーティらしい。
俺には訳がわからない。
どういう事か聞き返すと、ちょっとでかい依頼のために人数を増やしたんだ
が、もう必要ないんで余ったんだとかなんとか。それでもわからない。要らない
なら言えば勝手に出ていくもんだろう。
リーダーらしき男はそいつらには話をつけておくから、朝になったらおまえ
ののところに顔を出すからと、それだけ言って逃げるように去っていった。
あ然とするしかなかった。
その時はわからなかったが、体の良い厄介払いだった訳だ。
で、その翌朝。
若い女ふたりと中年男ひとりが俺の部屋を訪ねてきた。
俺は勝手にどっかに行けばいいと眠い目をこすりながら言ったが、シャトナ
の強引な誘いに負けて四人でパーティを組まされるハメになった。
後で知ったが、シャトナの称号は《ごり押しの》だった。麗香は《我が道を
行く》で、マクティスは《学者肌の》だ。三人とも、もうこれ以上はないってく
らいにはまった称号だ。
そんな二月前の降ってわいたような災難を思い起こしながら歩いていたら、
すぐ前の曲がり角に何かが見えた。
足のようだ。何かとんでもなくでかい足だ。
食人鬼!?
俺はぼんやりと見えた巨大な足の正体を悟って目をむいた。
「おい、静かに道を引き返せ」
すぐ後ろのシャトナの耳元にささやく。
「くすぐったいじゃない、バカ！」
何を勘違いしたのか、シャトナは素っ頓狂な叫びを上げて俺の背中をぶっ叩
いた。
俺はたたらを踏んで前に飛び出してしまった。
「この馬鹿っ！」
食人鬼がこっちに気づいてゆっくりと歩み寄ってきた。足の運びはゆっくり
だが、なにせ人間の倍近い身長だ。ゆっくりでも充分速い。
「ラークシャサじゃない！」
ようやく気づいたシャトナが甲高い声を上げる。
「わかったら逃げるんだ！」
「私、こんな醜い人肉鬼、見たくありませんわ」
麗香は顔を両手で隠すと、パッと身を翻した。
こいつ、逃げ足だけは速い。
しんがりのマクティスがやにわにシールドから顔を上げたかと思うと、腕を
振り上げて叫んだ。
「おのれ、オーガー！ 我がヘルフレイムを食らえっ!!」
「わっ！ 待てっ!!」
マクティスを制止しようと声を上げる。しかし、わずかに遅かった。
紅蓮の炎が地面から噴き上がり、マクティスを除いた誰彼なしに牙をむいて
襲いかかった。
「どわっ！」 俺は慌てて炎を避けようとしたが、地面からの炎など避けられ
る訳もない。
靴底はあっという間に焼け焦げ、ズボンに火が移った。飛んだり跳ねたりし
て挙げ句に転がり回って何とか火を消す。
「これはしまった。すまぬ」
マクティスがシールドののぞき窓から俺の方を見て、悪いとは全然思ってい
ない声で言う。
「すまんですんでよかったな！」
「わたしはあなたと話をするような仲ではありません。静かにして下さい」
俺の怒鳴り声に顔をしかめると、マクティスは素っ気なくそう答え、タワー
シールドの陰に身を隠してしまった。
他の連中はと見ると、ふたりとも平然と俺を見ている。さっさと逃げていた
らしい。
「全く……。あたし、あんたが死んだって教会に金払うの嫌よ」
冷たい声でシャトナが言うと、
「私、焼けただれた死体を引きずって運ぶの、嫌ですわ」
麗香も同調する。
「おまえらだけさっさと逃げやがって……」
俺は恨みがましい目でふたりをじろりとにらむ。どいつもこいつもリーダー
の俺の事なんかどうなってもいいと思ってやがる。
恨み言のひとつでも言ってやりたくなったが、すぐにそれどころじゃなくな
った。
食人鬼はマクティスの魔法で倒したものの、その後にもう二匹、魔物が続い
ていたのだ。
それもただの魔物じゃない。
食人鬼と同じような巨体。両肩と額からは大きな角が伸びている。
「酒天童子っ！」
俺は叫びを発すると全員に声をかけて逃げようとした。
ところが足が思うように動かない。思ったよりも火傷がひどいせいだ。
今度ばかりはマクティスも魔法を使おうとはしなかった。自分の魔法が効く
相手じゃないとわかっているからだ。それどころかあの重装備で一番早く逃げ出
している。
その次が麗香だ。
シャトナは一旦逃げようとしたところで、引き返して俺の腕を肩に回した。
「しょうがないから助けたげるわ」
「すまない」
俺が礼を言うより早く、シャトナは死体を引きずるように無雑作に、元来た
道を引き返し始めた。
こうして俺たちはほうほうの体で洞窟から逃げ出すと、街へと向かった。
結局手に入れられたのは豚男が落とした遠眼鏡だけだ。俺は下半身に火傷を
負い、シャトナに肩を借りてようやく脱出できた。踏んだり蹴ったりってのはこ
ういう事だ。
街に戻って宿屋で二、三日休めば何とか体は治るだろう。
と、街まで後少しというところになって、俺の体を支えてきたシャトナが指
をしゃくって合図してきた。
「何だよ？」
「助けてあげたでしょ。そいつを頂戴」
俺の持った遠眼鏡を指さす。 一瞬ためらったら、シャトナは肩に回した腕
の力をフッと抜きやがった。俺は体重を支えきれずに崩れ落ちる寸前だ。
「わかったよ……」
渋い顔でつぶやくと、俺は遠眼鏡をシャトナに放り投げてやった。
「ありがとーっ！」
シャトナは俺から手を離して両手で遠眼鏡を受け取る。
「こらっ！」
支えを完全に失った俺はバタバタと手を泳がせた挙げ句、尻から地面に倒れ
る。
礼なんて言うんじゃなかった。
不様に地面に倒れた俺は肩を落として、またもため息を漏らすしかなかった
。
街に入ったのは夕刻遅くになってからだった。
まだ西の空にはかろうじて赤い雲が残っていた。
折り悪く中央の広場は捕り物の真っ最中だった。若い美女ひとりに警備兵七
人がわらわらと駆け寄っていく。
「いたぞ！ 指名手配のファーティマだ!!」
何をしたのかしらないが、結構な重犯罪のようだ。
犯人と警備兵、それに見物人でごった返す広場の真っ直中を、俺はシャトナ
に支えられながら宿屋に連れられていった。
３
ようやく自力で歩けるようになったのは四日後だった。
怪我は思っていたよりも重傷だったようで、実際傷を見た医者は信じられな
いような目で俺の顔を見たものだ。
魔法に対する防御策を講じていたのが死なずにすんだ最大の原因だ。それに
しても間一髪だったのには変わりがない。
で、張本人のマクティスは俺の部屋には顔も出さずじまいだ。あの野郎、何
考えてやがるんだか……。
その代わりにシャトナと麗香が代わる代わる見舞いにやってきた。端から見
てりゃ美女ふたりに優しくされてうらやましい状況だったろうが、実際にはこう
だ。
シャトナの場合、俺の寝る寝台にどかっと腰を下ろし、おもむろに市場で買
ってきた果物をナイフでむき始める。手さばきはいいんだが、奇麗にむこうなん
て気はさらさらないのか、終わってみれば食べられる部分は半分以下になってい
る。考えてみると、その手さばきってのは武器を使う時と同じだ。ザクリザクリ
と怪物をぶった斬る要領で果物を切っている。そりゃ中身が少なくなる訳だ。
で、出来上がった物が無雑作に俺の前に並べられる。量は大した事ないだろ
うって？ いや、出されたのは皮の方だ。真ん中の美味しいところはさっさと自
分で食って、残りの皮にくっついた実の部分を俺に押しつけた訳だ。
「せっかく、あたしがむいてやったのを食えないって？」
そう凄まれたら食うしかない。
断ったら後が怖いからな。
お陰でかなりの量を食わされた。
反対に麗香の場合、同じように果物を持ってきて、むき始めるんだが、丁寧
に丁寧にもうこれ以上皮を薄くむけないってくらいに薄くむく。しかも、それが
信じられないくらいに遅い。だから、むき終えた頃には色が変わっている。
差し出された実を見て、一瞬手を伸ばすのをためらうくらい奇麗じゃない。
「やっぱりシャトナさんの方がいいんですね……」
涙目でそう言われたら思わず謝って食うしかない。
後で腹こわさないかどうか、心配になったもんだ。
結局、果物の食い過ぎか何か知らないが、足が動かないってのに、何度も何
度もかわやに行くハメになった。
そんな生活が丸三日だ。
ようやく歩けるようになって外に出た時には、シャバに出た囚人の気分だっ
たね。
「右近のお陰でまた間に合わなかったじゃない」
両手を高々と上げて伸びをした途端、清々しい気分に水を差すようにシャト
ナが文句を言った。
「な、何だよ？」
シャトナを振り返って恐る恐る訊く。嫌な予感がした。
「妖精の国がここに出たって前の街で聞いたじゃないの」
そうだった。だから、シャトナと麗香は俺を急かしたんだ。妖精の国っての
は四年に一度だけ、どこかの街の上空に出現するという幻の国だ。一ヶ月くらい
しかこの世界とつながっていないため、その期間内にたどり着かないと行けない
。今回は余裕があったはずなんだが……。
「多分、情報が古かったんだな」
俺は辛うじて反撃した。
「あんたのその称号のせいよ」
だが、シャトナの攻撃に一刀の下に斬って捨てられる。
俺の称号ってのは《流行遅れの》だ。いつからかは知らない。気がつくと建
国祭の宝くじや天下一武道会といった年中行事は片っ端から間に合わないで、街
に着いてみると昨日終わったってパターンばかりだった。
「せっかく金に余裕があったから良い鎧が欲しかったのにな」
「私、コロボックルリングが欲しかったですわ」
シャトナと麗香が恨みがましい目つきで俺をチロッと見る。
その横ではマクティスが俺に目もくれずに羊皮紙の本を読みふけっている。
一瞬だけ俺を見た視線は何か言いたそうに細められた。
「ああああっ、そうだよ！ 俺のせいだよっ!!」
ヤケ気味に吐き捨て、ため息をつく。
これからまたこいつらと冒険の旅が始まるかと思うと、さっきの爽快な気分
が瞬く間に嵐の真っ直中に放り込まれたように暗くなった。
「それで、どこに行くの？」
シャトナが急かす。
少しは病み上がりの人間を気づかってくれと言いたくなったが、俺は代わり
にため息を漏らした。
「とりあえず斡旋所に顔を出すか……」
俺はとぼとぼと宿屋の一画に店を開いている冒険者向けの仕事斡旋所に足を
向けた。
街と街の間を結ぶ街道には怪物や盗賊まがいの無法者が出没する。なにせ街
を取り巻く壁を一歩出たら訓練を積んでいない者は生きていけないほどだ。だか
ら、街から街へ旅するのは俺たちのような冒険者に限られるといってもいい。斡
旋所はそんな冒険者にしかできない仕事を紹介する場所で、どこの街にも宿屋の
一画にある。
斡旋所の主人に聞いてみると、めぼしい仕事はほとんど他の連中が引き受け
た後だった。かろうじて残っていたのは護衛の仕事だけ。残り物には福があるか
どうか知らないが、報酬もそれほど悪くはない。他に仕方がないので、俺はそれ
を引き受ける事にした。
護衛するのは《貴族の末裔》ロックロメという若い男で、ロマールの都まで
だという。
行程にすれば十日間。乾いた大地を真っ直ぐに突っ切るのが辛いくらいで、
それほど問題がある訳じゃなさそうだ。
俺は宿屋に泊まっていたロックロメを伴って、仲間の待つ広場まで戻ってい
った。
ロックロメは華奢な体をした若者だった。俺より五つくらいは下だろうか。
街から一歩外に出たら数秒で死んでしまうような体だ。貴族ってのは本当かも知
れない。報酬が高いのもそのせいだろうか。
「さて、行くぞ」
俺は声をかけて五人になった仲間を引き連れて歩き出した。
４
旅も最初の内は平穏なものだった。
そんな穏やかな記憶があるのは九日目までだ。
渓谷にある小さな街で一泊してから二日間、岩場を歩き続けた。そして、よ
うやく岩場を抜け、明日には目的地に到着するって時になって、いきなり砂漠が
荒れ始めた。
砂嵐が吹きすさび、前も見えないって状態になったのだ。
すぐに動きがとれなくなる。
「このままでは遭難ですな」
妙に冷静につぶやいたマクティスは紙に木炭筆で何やら書き散らしている。
学者ってのはみんなこんななのか？
「仕方ない。街まで戻るぞ」
俺はあきらめてほんの数時間前に後にしたばかりの岩場に引き返す決断をし
た。経験から決断を遅らせれば遅らせるほど遭難する可能性が高いのを知ってい
たのだ。
「いや、なかなか素晴らしい砂嵐だった」
マクティスが他人事のように言い、
「うっとおしい砂嵐ね」
シャトナが挑戦的に空に向かって拳を振り上げ、
「髪がザラザラになっちゃいましたわ」
麗香が悲しげな表情でぼやく。
そんな中でだたひとり依頼人のロックロメだけが現状を把握していた。
「だ、大丈夫ですかぁ？」
「任してください」
俺は依頼の報酬を確実なものにするために虚勢を張ってみせた。
「とりあえずは岩場まで引き返します。なに、すぐですよ」
無理に明るく言ってみたものの、いつ嵐が収まるかメドはない。
息も絶え絶えという状態で岩の割れ目に駆け込む。叩きつけ、服の中に入り
込んでくる砂粒からようやく逃れられ、一息つけた。
風だけがビョウビョウと岩肌をすり抜けて唸りを上げている。
「止むまでここにいるしかないな」
俺は空の様子を見てつぶやいた。
「いつまでよ？」
シャトナが訊く。
「わからん。空にでも訊いてくれ」
そう言ったものの、空の様子はいつまでたっても明るくなりそうになかった
。
「最悪、ここで一晩明かすしかないのか」
「私、こんな所でまた寝たくないですわ」
悲しげに目を伏せて麗香がささやく。
シャトナがにっこり笑って俺に言った。
「まあいいじゃない。とにかく依頼人を都まで連れていきゃいいんでしょ？
右近が何とかしてくれるわよ。ね？」
最後の声は俺に同意を求めたらしい。しかし、そんな言葉に同意できる訳が
ない。
「私、お金が入ったら麗人の腰巻きが欲しいな」
麗香が聞こえよがしにつぶやく。
「うむ、そろそろバニッシュクリスタルも欲しいしな」
マクティスの勝手な言葉に、俺の頭のどこかで何かがプツリと音を立てて切
れた気がした。バニッシュクリスタルというのは戦闘から一人だけ逃げられると
いう魔法のアイテムだ。それを使って戦いが始まったら自分だけ戦線離脱する気
だな、こいつは!?
「おまえら、そうやって俺を食い物にして生きていくつもりか!?」
風の音に負けないように叫ぶ俺の頭に、フッと低級な怪物の姿がよぎった。
「まるで、洞窟に飛んでるアレじゃねーか！」
そう、他の動物の生き血をすすって生きているアレだ。
「吸血コウモリ！」
この二ヶ月で初めて四人の声が重なった。
勘弁してくれよ……。
内心で悲鳴まじりのため息を漏らす。一瞬にして嵐以上の真っ暗闇に叩き落
とされたような気分だ。
また足の傷がうずいたような気がして俺はよろめいた。
その様子を見て不安感に襲われたのか、ロックロメはおどおどと俺の顔色を
うかがいながら尋ねた。
「あの、大丈夫でしょうか？」
その声音に俺のいらいらした気分が爆発した。
「知るかっ！」
「へっ!?」
俺の怒号にロックロメが腰を抜かしてへたり込む。
「おまえらとはこれっきりだ！ 俺はひとりで依頼を達成してやるっ!!」
俺はとっさに腕を伸ばしてロックロメの襟首をひっつかんだ。
「私を殺す気ですかぁ〜！」
悲鳴など無視して、俺は叩きつけてくる砂の真っ直中に踏み出していった。
「がんばってねーっ！」
「頑張って下さいっ！」
シャトナと麗香の叫びが風をものともせずに俺の背中まで届けられた。
三日後――。
砂まみれでボロボロ、ほとんど半死半生の状態で俺とロックロメは都にたど
り着いた。
嵐の中で道を踏み外れたせいで二日も余計にかかってしまったのだ。それに
しても無事にたどり着けたのは奇跡に近い。
「遅かったじゃない」
街の入口で聞きたくない声に振り向くと、シャトナと麗香が手を振っていた
。
「さあて、戻って報酬をもらわなくちゃね！」
シャトナが笑顔で言うと、麗香が嬉しそうに声を上げる。
とどめにマクティスがロックロメと一緒にぼう然と立ち尽くしていた俺に冷
たく指摘してきた。
「早く依頼人を家まで送り届けなくてもいいのですか？」
ブチブチッと音を発して、俺の中の何かが完全に引きちぎられた。
何としてでも、こいつらと縁を切ってやる!!
そう、いかさま賭博をしてでも――。
俺はこいつらの前のパーティのリーダーが感じたのと同じような気持ちで、
堅くそう心に決めた。