この世界の名が何なのか――。
それはここで生を受けた多くの者にとってさしたる問題ではない。
いかにして生き、いかにして名を成すか。
誰も知りようのないその方法を探して、冒険者たちは闇の中をさまよい歩く
。その腕に灯った己という名の松明だけを頼りにして――。
『ルナティック・ドーン／第１夜：冷たき微笑の称号』
１
今になって思い返しても、運命としか思えなかったな。
もう三年前――救出依頼を引き受けた俺が日出国にある《愚者の遺跡》に踏
み込み、襲いかかってくる豚男どもを切れ味のいいポーバルソードで斬って斬っ
て斬りまくって進んだ先の事だ。
あの時は相棒も連れずにひとりっきりだったんで、ちょっと無謀だったかも
しれない。まあ、若気の至りってやつだな。金が欲しかったし、あの依頼の報酬
につられたって事もある。なんせ九五〇〇っていやあ、あの時の俺にとっちゃ無
限と同じくらいの金額だったからな。
とにかく俺はひとりでファーティマって女を救うために迷路みたいな遺跡に
入っていった訳だ。
何でもファーティマは動乱の悦子って女に誘拐されたらしい。多分、女同士
って事で、恋愛沙汰のもつれかもしれないが、ま、そんな事はどうだっていい。
要は俺が仕事を成功させて金を手に入れられりゃいいんだ。
そんな考えだったから、当のファーティマを目の前にするまでこんな事にな
るなんて思ってもみなかった。
遺跡の内部はそれほど面倒な造りになっていなかった。ただやたらと罠が仕
掛けてあって、場所によっては二、三歩進む度に足元を確かめなきゃならない始
末だ。これにゃ参ったね。それ以外は問題なく進み、俺は運良く一度も道を間違
えずに遺跡の奥にたどり着いて、動乱の悦子とご対面した訳だ。
悦子はふたりの仲間を引き連れていた。シャラバ出身のかなり腕の立ちそう
な男どもだ。子分をつれて姉御気取りだったのかもしれないな。ま、ご面相につ
いちゃ言わぬが花ってところかね。
俺の方もこれまでの経験で腕を上げていた。日出国の辺りじゃまだ無名だっ
たが、疾風のカイゼルといやぁ故郷ロマールじゃそれなりに知られた名前だ。も
っともロマールの都までは知れ渡っちゃいないがな。都にゃ《怒れる》ミリアム
って凄腕がいるようだが、俺ほどじゃないだろう。ま、とにかく、その名のとお
り、敏捷さにかけちゃ俺に勝てる奴はいねえと思っていた。
まずは風のように軽やかな一撃。
ふたりのグランドシャムシールとフォーシャールを難なく避けると、ポーバ
ルソードを軽やかに振るってひとりを倒す。
悦子って女は魔法を使うらしいが、俺には効かない。そんな事もあろうかと
、魔法防御を施したゴッドジェラバを羽織っていたからだ。
さらに疾風のような二撃。
ふたり目の男を倒して、最後に残ったのは悦子だけだ。女を手に掛けるのは
趣味じゃねえが、立ち向かってくるものは仕方がない。軽くひねってやった。ま
あ、死ぬ事はないだろう。傷は残るかもしれないがな。
そこで俺は運命と出会った訳だ。
ファーティマという運命とな。
最初にも言ったように、会った瞬間、運命的なものを感じた。そんなもん、
はなから信じちゃいなかったから驚いたね。
確かに美人だった。シャラバ特有のゆったりした服装にすらりとした体を包
み、顔を半分隠してたが、それでも美人なのは間違いなかった。
しかし、それだけじゃ俺がひかれた理由は説明できない。旅してる間に美人
はいくらでも見てきたし、その内の何人かは口説き落とした訳だからな。
俺がひかれたのは意志の強そうな目と、見知らぬ人間が敵を倒しても驚きも
しなかった剛胆さだと思う。
動乱の悦子を倒して歩み寄った俺を恐れる様子もなく、ファーティマは素っ
気なく言ったもんだ。
「ごくろうさま」とな。
囚われの美女が命張って助けに来た俺みたいな美男子にころりと惚れちまう
のが物語ってもんじゃないか？ ところがそうはならない。これでハッピーエン
ドにゃならないのが冷たい現実ってもんさ。
で、俺はあくまでも冷静にファーティマを連れて遺跡を後にした。あくまで
も紳士としてエスコートしたさ。なんせ大金のかかった仕事だからな。
首尾良く金を手に入れて、さあ、これからどうしてやろうかと街の広場であ
れこれ考えていたら、ファーティマが近寄ってきた。
「いっしょにパーティを組まない？」
何だと思ってたら、ファーティマはいきなりそう提案してきた。どうやらひ
とりらしい。ま、他に仲間がいないから俺が救出してきた訳だからな。
ここでおかしいと思えばよかった。そうすりゃ今頃は――。
ああ、そんな事は今さら考えたって仕方がない。そう、ファーティマ救出の
依頼人が誰だったのか、俺は全く注意していなかったんだ。よく確かめておきゃ
あよかった。今思い出せる限りじゃどこかの富豪だったと思う。どういう関係だ
ったのかは想像するしかねえがな。
とにかく、その時、ファーティマは俺にパーティを組まないかと言ってきた
。
どうしたかって？
そりゃもちろんＯＫしたさ。断る理由なんてどこにある？
若い美女の誘いを断るほど俺も朴念仁じゃねえ。ちょっと色々と期待した面
もあったしな。なんせ向こうから俺に声をかけてきたんだから。
まあ、その辺りは想像してみてくれ。ひとつ言えるのは期待が裏切られなか
ったって事だな。
美女を救出していい仲になるなんてな、お伽噺だけの事だって思ってたけど
、たまにはこんな事もあるもんだ。世の中、捨てたもんじゃない。
ところで、知ってるとは思うが、この世界じゃ名前の他に称号ってもんがあ
る。あだ名みたいなもんだな。俺の場合は《疾風の》ってのが頭について、疾風
のカイゼルって名前が正式な呼び名になる訳だ。
ファーティマの場合は《奇麗好きの》ってのが称号で、正式には奇麗好きの
ファーティマってのが名前だ。
旅の間に俺がどうして奇麗好きなんだって訊いたんだが、あいつはえん然と
笑みを浮かべて、「当ててみなさい」と、こう言うだけだった。
ま、確かに身の回りは小綺麗だし、長い黒髪だって手入れしてるんだろう。
でも、わざわざあだ名にするほどの事じゃない。
あだ名ってのは称号って言われるくらいに、その本人の特徴を表したもんだ
。俺のあだ名――疾風ってのは、俺がそれなりに素早く動けるって証明みたいな
もんだ。
この世界にゃ信じられないくらいおかしな称号の持ち主がいるが、詳しく聞
いてみるとなるほどとうなずく場合が多いからな。たとえば、嵐を呼ぶ男なんて
のは、本当に天気運の悪い男で、大切な用事で出た途端、大雨が降っちまうそう
だ。俺が会った中でも、危ない踊りのとか、びっくり箱のとか、奥義炸裂のとか
、まじめに言ってるのかどうかわからないのもある。
で、結局、ファーティマの称号の由来はわからないままだった。ちょっとし
た喧嘩が元で、一年後に俺はあいつと別れる事になったからだ。
実をいやぁその時の俺はまだ身を固めるつもりはなかったし、あいつもその
事を察していたんだろう。いってみりゃ、お互いに暗黙の同意で別れたみたいな
もんだった。
その後、俺はひとりで旅を続けた。街から街へ割のいい仕事を探して駆け回
ったもんだが、ファーティマに出会う以前に戻っただけだから苦労はなかったな
。
結構やばい仕事にも手を出したし、中にはしばらくの間街の噂になるような
一件もあったんだが、まあ、それはこの際置いておこう。今は関係ない話だしな
。
そうして半年ほどが過ぎたんだ。
２
ファーティマに次に会ったのは俺がシャラバの湾岸の街を中心に活動してい
た頃だ。といっても、家を建てた訳じゃない。たまたまシャラバの勢力が大きく
なったんで、おいしい仕事が幾つでも入ってくるようになったから移ったんだ。
幾つか依頼をこなして、後ひとつ終えたらしばらく休んでやろうかと思って
いつものように酒場にやってきた。もう顔なじみになった主人からめぼしい依頼
を聞いてた俺は、ひとつの件に興味をそそられた。
とあるアイテムを奪回して欲しいという依頼だ。
奪回なんて仕事はリスクが大きい割には報酬が低い。しかも、アイテム自体
が大したもんじゃない場合が多い。そんなもんのために体を張るのも馬鹿らしい
じゃねえか。だから、俺はめったに引き受けないようにしてる。
詳しく説明すると、奪回するには幾つか手段がある。
一番手っ取り早いのが相手から盗む事だ。手の器用さと素早さに自信がある
奴はほとんどこれだ。リスクが少ないからだ。
で、それほど器用でも素早くもない奴はどうするか？
答は単純だ。相手から力ずくで奪うって方法だな。おまけにその相手から身
ぐるみはいで奪っちまう。報酬とアイテムを手に入れられる一挙両得って算段だ
な。ただし、相手がパーティを組んでたりしたら、襲う方にもやばい話になる。
リスクが大きいってのはこういう事だ。
付け加えりゃ、もちろん指名手配されて、その街には当分行けなくなる。そ
うだな。一年、下手すりゃ三年ってとこかな。その間、おいしい仕事があったっ
て指をくわえているしかないって訳だ。ま、警備兵に追いかけ回されるのが趣味
だってんなら止めはしないがね。
どれだけ割にあわない話かわかったろう？
それにもかかわらず俺がこの件に注意をそそられた理由は別にあった。
そのアイテムを持っている相手ってのがファーティマだったからだ。
結局、俺はファーティマからアイテムを奪う依頼を引き受けた。他人が引き
受けてファーティマを殺しちまうなんてのは願い下げだ。一緒に旅をした知り合
いが殺されるのを知りながら傍観していられるほど俺は冷たい男じゃないからな
。
で、俺は情報屋からファーティマが中津国の都にいるっていう情報を得て、
すぐにそっちに向かった。
あいつを見つけるのにはさして時間はかからなかった。行くまでの方が時間
がかかったくらいだ。都のど真ん中にある広場に立ち並ぶ露店で品定めしている
って見当がつけられたからだ。だてに一年も一緒にいた訳じゃない。あいつの行
動パターンはお見通しってやつさ。
その時、幸い辺りは結構な人込みで、俺の自慢の腕に物を言わせるにはもっ
てこいの状況だった。
俺は見つからないように遠回りしてファーティマに接近すると、あいつの持
っていた荷袋を引っさらった。後は知らぬ顔をしてその場を離れるだけ。それこ
そ電光石火の早業で俺は荷袋ごと目当てのアイテムを手に入れた。自分でも惚れ
惚れする技だったね。一瞬、スリで生きていこうかと思ったくらいだ。
一緒に入っていた装備品は返す訳にもいかないし、そのまま道具屋に売っぱ
らった。ま、悪く思うなよと心の中でつぶやきながら、道具屋から受け取った金
をありがたく銭入れに突っ込んでおいたがね。
実はそれからが大変だった。 ファーティマの奴、盗まれたと知った途端に
道具屋に駆け込んで売られた物を調べ上げたらしい。ついでに売った人間の人相
風体を聞き出して、街の出口で見張り始めやがった。昔から行動の素早い奴だっ
たな。
多分、その時点で俺に似てるって見当はつけていたんだろうと思う。物陰に
隠れて様子をうかがってみれば、あまりひとりひとりをじっくり確かめるような
事はしていなかったからな。
当然知ってるだろうが、街の周囲には高い塀が取り巻いている。外にうろつ
くモンスターどもが侵入しないように街を守っている訳だ。逆に人間が外に出る
にも街の門を通らなきゃいけない。不幸だったのはこの街には門がひとつしかな
かった事だ。ファーティマもそれを見越して待ち伏せたんだろう。
俺はあいつの目をやり過ごす方法を考えなきゃならなくなった。ぐずぐずし
てると依頼の期限が切れちまうから急ぐ必要があったしな。
何とかして街から出ようと、ない智恵をふり絞ったね。
色々と考えたものの、単純な方が成功するだろうってんで、俺は荷馬車に潜
り込んで何とか街を出る事に成功した。実際にはファーティマが何か感じたのか
、馬車を調べようとしてんだが、荷主が大商人だったもんでできなかっんだ。思
い返しても、あれは冷や汗ものだったね。
とまあ、二回目はこんな具合だった。
３
三回目にファーティマと関わったのが一番やばい状況だったな。
記憶が確かじゃなくなってるが、一年近く過ぎていたと思う。
ちょうどそろそろどこかに家を建てようかと考え始めた頃だった。懐にも精
神的にも余裕が生まれてきたから、そんな気持ちになったんだろう。そのために
は
もう少し金が必要だったし、やばい仕事でもいいからやってやろうと思ってい
た。
引き受けた依頼内容は暗殺だ。
とはいっても、ファーティマを暗殺するって訳じゃない。ファーティマがか
らんでくるってわかってりゃ、俺だってあんな依頼を引き受けるなんてしなかっ
たさ。
直接、暗殺する相手は朝寝坊の宮本右馬助って日出国の奴だった。何をした
のかしらないが、この間抜けな名前をした奴を殺してくれってのが依頼だった。
情報屋に話を聞いてみりゃ、今頃は日出国の故郷に向かってる頃だってんで、俺
は急いで馬を走らせた。話を聞いてみれば大して腕の立つ相手でもなさそうだっ
てんで、俺はパーティを組まないでひとりで殺る事にした。その方が報酬を独り
占めできるしな。
それで日出国の田舎町に着いた俺は人相書き頼りに宮本を探し始めた。しか
しまあ、日出国の連中ってのはどいつもこいつも同じように黒髪で瞳も黒くて、
認識が難しい。人相書きなんてあったってわからねえ。
宿屋や酒場を探し歩いてもどれが宮本なのかなかなかわからねえ。そこで代
わりに見つけたのがファーティマだった。
いやあ、驚いたね。なんだかおかしな因縁があるもんだと感動したくらいだ
。
俺は以前の事を知らないふりをして、ファーティマに声をかけた。
あいつも疑ってはいたかもしれないが、それは顔に出さないで俺にいつもの
素っ気ない笑みを向けてくれた。こいつにとっては歓迎の印だ。
しかし、驚きはそれだけじゃなかった。なんとファーティマは宮本とパーテ
ィを組んでいたんだ。
さり気ない会話でそれを聞き出した俺は驚きを顔に出さないように苦労した
ね。因縁なんてもんじゃねえ。俺にとってあんまり都合のいい方に物事が進むん
で怖くなったくらいだ。
そこでファーティマと別れたふりをして後を尾行すると、宮本の居場所を突
き止める事にした。
宮本を発見したのはもう夕刻近くになってから。場所は宿の前だった。ファ
ーティマが宮本の脇に立ち、親しげに話をしている。その他にひとり、仲間らし
い男がいたが、そっちは全く目に入らなかったね。
ファーティマと宮本の親しげな様子を見た途端、俺の心に殺意がわき上がっ
てきた。理由なんてわからねえ。
俺はすぐさま物陰から出ると気づかれないように背後から接近していった。
そして、ポーバルソードを宮本の背中に向けて突き出した。
その時だ。
ファーティマが俺に気づいて叫びを上げたのは。
「右馬助っ！」
ファーティマは情を通じていたのかどうかは知らないが、かなり宮本を信頼
していたらしい。叫びを上げたのがその証拠だ。俺はさらに腹立たしくなった。
ファーティマの声に宮本はパッと振り向いて俺の剣をかわしやがった。
その時には周りの連中にも何が起こっているのかわかったらしい。あっとい
う間に俺たちの周りから人が消え、遠巻きの人垣ができちまった。
これで襲撃は失敗だ。できたら避けたかったが、俺は真正面からファーティ
マ含めて三人を相手にするハメになった。
「この私を襲うとはどういう了見だ？」
宮本が冷や汗を流しながら大仰な仕草で訊いてきやがったが、そんな質問に
答える馬鹿がいる訳がない。
「カイゼル、あんたどういうつもり？」
ファーティマが訊いてきたが、これは宮本を襲った事じゃなくて、自分を襲
うのかどうかって問いだと俺は解釈した。
「おまえにゃ関係ない。下がってな」
ところがファーティマは昔と同じように研ぎ澄まされたシャムシールを抜き
放って俺に向けた。
「そうはいかないのよ」
ファーティマの返答を合図に三人が襲いかかってきた。
ま、俺に傷を負わせられる奴なんていねえと思ってたから、それほど危機的
状況って訳じゃなかったんだが、それでも三人を相手にするのは手間取った。そ
れにファーティマに傷をつける気もしなかったから、余計に疲れたね。
何とかひとり倒して、ファーティマを拳で殴り倒してから宮本を相手にした
。思ったよりは剣の使える奴で苦労したが、一太刀ずつ的確にダメージを当てて
いく俺の戦法は確実に宮本を弱らせていった。最後には苦しまないように首を断
ち切ってやった。
これで終わりだ。
俺は気絶したファーティマを置いていくのに心が痛んだが、仕方がない。も
たもたと闘ってる間に誰かが通報したのか、警備兵がわらわらとやってくるのが
視界の隅に見えたからだ。すぐに逃げるにこしたこたぁないってんで、俺は身を
翻した。
それにしても驚いたのは、あのファーティマが宮本って奴にあれだけ仲間意
識を持ってたって事だ。俺と一緒にいた時だって、俺をかばった事なんてなかっ
たくらい自分と他人の間に壁を作っていた奴だってのにな。一年だぜ、俺と一緒
にいたのは。それが半年くらいしか一緒に行動していなかった奴と俺を比べて奴
をとったんだ。なんだか悔しい気がしたとしても仕方がない事だろうな。
それともまだあいつに未練があったのかもしれないが、今さらそんな事ぁ言
ったって仕方がねえ。
俺はさっさとずらかって報酬を受け取るだけでその時は精一杯だったからな
。後はこの街には当分近づかないようにするだけだ。
しかし、こいつがケチのつき始めだった。
４
それから一年ほど俺の周囲の状況はどん底だった。
俺が殺った宮本って奴はあのすっとぼけた容貌からはどうにも不思議なほど
人望のあった奴だったらしく、数日後には仇討ちをしてくれって依頼があちこち
にいったらしい。仇ってのはつまり俺の事だ。平たく言えば、俺を殺してくれっ
て依頼があちこちに出回ったった訳だ。まったく迷惑な話だ。
行きつけた酒場でその話を聞いた俺はすぐさまその街を出たが、行った先の
街でも同じ依頼が入っていた。
依頼ってのは誰かが引き受けると、それが完遂されるかキャンセルされるか
するまでは他の人間が引き受ける事はできない。俺は自分で俺の暗殺を引き受け
て、その間の安全を確保してやろうと思ったが、なにせ仕事の斡旋人は俺と顔見
知りだ。すぐにばれちまった。代わりに逃げた方がいいぜなんて助言をもらった
くらいだ。
仕方なくまた街を出て、もっと田舎の村に引っ込んだ。
まあ、そこでほとぼりが冷めるまでジッとしてりゃいいんだが、それでも食
うためには仕事をしなけりゃいけない。命を狙われながらできる仕事なんて割の
悪い小遣い程度の宅配か、でなけりゃ密輸とか強盗なんてやばいものしかない。
数をこなせない俺は必然的にやばいが実入りの良い仕事を選ぶしかないじゃない
か。
最初にやったのは強盗だった。
なるべく目立たないような仕事を選んだつもりだったが、運悪く家人に見つ
かっちまった。とっさの事で俺も慌ててたんだな。思わずそいつを斬っちまった
。
何とか依頼の品を持ち去り、ついでにそこにあった金目の物をごっそりいた
だいてきた。もう殺しちまったら後は何をやったって同じだと思ったんだな。
そこからはもう転落の一途さ。
罪状がごろごろと雪だるまみたいに増え、指名手配される街もあちこちに散
らばるって寸法さ。
一度転落しちまったらそこから這い上がるのは難しい。いや、というより、
表舞台に出ようと思うのが馬鹿らしくなるんだな。なにせ真っ当な仕事してるよ
りも手っ取り早く金が入ってくるんだからな。それも二倍三倍なんてもんじゃな
い。十倍以上入ってくる事もざらだ。 気がついたら俺は斡旋人から仕事を回し
てもらうなんて面倒な事はしなくなっていた。代わりに昔の自分と同じような通
りがかりの冒険者を襲っては荷物を奪い、それを売りさばくなんて生活を繰り返
していた。
おまけに子分みたいな連中も何人かついて、いつの間にか街の闇の顔役みた
いな地位になっていた訳だ。場所こそ中心街じゃないが、結構大きな屋敷まで建
てた。
指名手配だけじゃなく、噂話にも俺の名前と悪行の数々が流れるようになっ
ていた。この世界の有名人になっちまったんだ。称号もそれにあわせて《疾風の
》じゃなくて、いつの間にか《悪風の》に変わってしまった。ま、気に入らない
って訳じゃないがね。
ファーティマが現れたのはそんな暮らしに慣れて一年ほどしてからだった。
その頃の俺はまだ特定の女がいなかった。別に女に不自由してる訳じゃない
し、奇麗な女はいつも誰かしら側にいたからな。こっちから声をかけなくとも、
向こうから言い寄ってくるんだ。改めて誰かと一緒になるなんて考えが浮かんで
こなかったんだな。
そこへファーティマだ。
しかも、最後に会ってから一年以上たってるってのに、あいつの美しさには
さらに磨きがかかっていた。それ以上に俺の目を見張らせたのは表情だ。以前の
冷たそうな雰囲気はどっかに消えて、にっこりと微笑みかけてくるじゃないか。
ファーティマは屋敷にいた俺をこっそりと訪ねてくると、ふたりきりになり
たいと自分の方から誘うように、しなだれかかってきた。
その艶っぽい様子を見た途端、俺の心の中にあった猜疑心はあっさりと吹っ
飛ばされたに違いない。
今にして思えばおかしな事だってわかるんだが、その瞬間の俺は完全に舞い
上がっていたんだろう。自分のパーティのリーダーを殺して、自分も怪我させら
れた男に嬉々として会いに来るような女がいる訳がないじゃねえか。
多分、悪事を重ねすぎたせいで、その辺りの感覚が鈍くなってたのかもしれ
ねえな。
自分でも頬が緩んでるのがわかるくらいだったから、俺の顔はかなりだらし
なく見えたはずだ。もっとも今はそれどころじゃないはずだから、見方によっち
ゃマシといえばマシだがな。
俺は寝室にファーティマを案内して、たっぷりと熱い時間を過ごした。いや
あ、最高だったね。間違いなく俺が味わった人生最高の一時だった。
その後、ファーティマがベッドに仰向けになった俺に抱きついたまま、俺の
事を色々訊いてくるんで、俺は訊かれるままにペラペラと答えてしまった。俺の
部下の数とか、家の構造とか色々だ。あの時は熱に浮かされたようなもんだった
からな。なにせその前が熱病みたいに激しかったからよ。
矢継ぎ早の質問が終わったと思ったら、ファーティマが急に俺の方に身を乗
り出してきて、かすれた声でささやいた。
「さよなら……」ってよ。
驚いた俺が口を開こうとしたら、ファーティマは素早く濡れた紅い唇で俺の
口をふさいできた。
熱いキスだった。
事が起こったのはその時だ。
突然、だった。
俺の腹に氷みたいに冷たい物が潜り込んできた。
次の瞬間には灼熱した鉄みたいな物が腹の辺りにぶちまけられた。
叫びを上げようとしても口はファーティマの唇で強引にふさがれてる。
俺は何とかファーティマから離れようとして、体が動かないのに気づいた。
そりゃそのはずだ。
俺の下半身は真っ赤に染まり、手首ほどの長さの短剣の柄が俺の腹から伸び
出していた。切先はベッドの敷物を貫いて床に突き刺さっていた。これじゃ動け
る訳がない。俺はベッドに縫い止められた哀れなハエみたいなもんだった。
俺は惚けたように剣の柄を見つめた。
「どうして……？」
我ながら馬鹿らしいと思うような台詞が唇から飛び出した。
心のどこかじゃファーティマの事を真剣に想ってたのかもしれないな。
ファーティマはさっきまで浮かべていた優しげな笑みから以前のように冷静
な、そして、冷たい笑みに変えて、素っ気なく言った。
「私、今度結婚するの。金持ちでたくましい冒険家の男とね。彼、中津国の英
雄で、悪事が大嫌いなのよ。私があなたみたいな悪人と昔一緒に暮らしてたなん
て知ったらどうなると思う？」
そして、ファーティマは何事もなかったように寝室を後にした。裏口も警備
の配置も何もかもわかっているから簡単に脱出できるだろうさ。
俺は何もできずに去っていくファーティマの後ろ姿を見つめているだけだ。
ファーティマの称号が《奇麗好きの》だってのを思い出したのは意識が薄れ
かかってからだった。
なんだ、そういう事だったのか……。
ようやく長年の疑問が氷解した喜びで、俺は笑みを浮かべた。
自分の過去も奇麗にしなきゃ気が済まなかったんだな。
奇麗好きってのも結構気合いのいる事だぜ、まったくよ……。
真っ暗になった視界の中でファーティマの奇麗な顔を思い浮かべながら、俺
はそんな事を最後に思った。