著者校正前の原稿ですので、実際の文庫とは違う個所があります。ご了承ください。
《ＪＡＣ・ザ・ソーサラー１》紅き魔導士の飛翔
《奴ら》はどこからともなく現れ、まず人類領宙に進攻した。
戦いは瞬く間に全銀河へ広がり、一世紀の長きに渡った。
大戦の混乱に乗じて銀河の人類領宙を掌握した帝国も疲弊し、もはや最後の切札しかないという瀬戸際、《奴ら》は去った。
どこへ去ったのか、その時には、誰にもわからなかった。
わかったのは《奴ら》の残した置き土産に気づいた時だった。
厄介な、そして、帝国とすべての知的生命体にとっては致命的な置き土産――。
そうして、永遠にも等しい暗黒の時代が訪れたのである。
暗闇に一条の光が差すには新たな千年期が必要とされた。
だが、その光は富と権力への欲望にまみれ、汚れていた――。
SHIFT ONE
１
「ぐだぐだぐだぐだ意味もねェ御託並べてんじゃねェ！」
酒場の片隅にあるヴィジフォン・ブースから叫びが上がった。
だが、ざわめきにまぎれて叫びはさほど目立たない。聴覚の発達したクスルグフィンヴの集団が驚いたように退化した小さな翼をばたつかせたくらいだ。
もっとも、叫びの主はそんな事などお構いなしに、さらに声を張り上げた。
「言い訳が聞きたいんじゃねェんだ。いつ、そのソーサラーが到着するのかが知りたいんだ。わかるな？」
「そりゃもちろんそうでしょうな」
画面に浮かび上がった男は仏頂面でうなずいた。
老人といってもよいかもしれない。しかし、それにしてはシワがないし、むしろ肌の艶は少年のようだ。老年という印象は物腰と目付きからである。
老人に対する男の方は言葉からして若い。実際に標準年で二〇代半ばというところだろう。ラフなスタイルはいかにも酒場にふさわしい遊び人のように見える。明るい茶色の髪を無雑作に切った頭は容姿にこだわらないようだが、甘いながらもなかなか見栄えのする顔である。
「しかし、そうは言われましても、わからないものはわからないとしかお答えできませんな」
モニターの老人が困った顔で答えた。
「連絡が取れるってったのは、そっちだろう？」
「確かに申しました」
「それじゃ、どうしていつこっちに来るかわからないんだ？」
「直接コンタクトしておりませんので」
「なんだって!?」
若者の声が甲高くなって、モニターに身を乗り出す。
「直接会った訳ではございませんのですよ」
老人はもう一度言い聞かせるように口にした。
「ちょっと待て。直接話をしてないって事は、最初からそこにはいなかったって事か？」
「そのとおりです」
「どこにいるんだ、そのソーサラーは？」
「存じません」
しれっとして言う。
「存じま……おい。それじゃ、どうやって連絡つけるんだよ？」
「いくら連邦警察の方でも、それだけはお教えできませんな。そちらとしても折角の機会をフイにしたくはないでしょう？」
「しかし、それじゃ――」
「まあ、これくらいはお教えしてもいいでしょう。そのソーサラーは自分の居場所を誰にも知らせてません。いくつかの中継点が私ども情報屋に知れているだけで。中継点からどうやって連絡がつくのかは見当もつかないのですよ」
「それじゃまるで……」
魔法じゃないかと言おうとして、若者は口をつぐんだ。一般には神秘のヴェールに包まれたままの航導士そのものが魔法みたいなものだ。まして、フリーのソーサラーといえば魔法そのものかもしれない。
若者の沈黙を了解と取ったのか、情報屋の老人は続けた。
「そういう事ですので、それ以上は私にはなんとも申し上げられませんのです。引き受けたという返答はありましたので、これまでの例から考えれば四〇時間以内にはそちらに到着するはずです」
「四〇時間だァ？」
「それまで余計な事をなさらないでお行儀よくしていらっしゃるんですな、φソン財団のお坊ちゃん」
「なに!?」
睨みつけようとしたが、すでに老人の姿は画面から消えていた。代わりに通話料の表示が現れ、ＩＤカードがスリットから吐き出される。
「くそ……あのヒヒジジイ。こっちの正体まで探ってやがったな」
忌々しげにつぶやく。カードを引き抜き、若者は酒場のカウンターに戻った。
店内は八分の入りだ。
テーブル席の九割が埋まり、カウンターにはスツール一つおきに一人者の客が座り、思い思いにグラスを傾けている。
若者はカウンターの端にあるスツールを選んで腰を下ろした。
バーテンに注文してから左腕の時計を見る。
ボタンをクリックしてファンダル時間に切り替えると、二八時過ぎ。真夜中だ。
後三五時間以内にソーサラーがここに到着するはずだ。それまでこの辺りで時間をつぶす必要がある。
「いつ来るのかわからねーのにここから離れる訳にもいかねーか……」
そうつぶやいて、周りを見回す。
宇宙港近くの酒場はどこでも終日営業だから、締め出される心配なない。とはいえ、それだけだ。ビリヤードやカードが遊べる設備などない。時間を潰すには不向きな事この上ない。
第三次大航海時代などとマスメディアに名づけられたこの時代――。
宇宙港は拡張され、周辺には次々と新たなホテルや歓楽街といった施設が造られ、建築ラッシュにわいている。ほとんどの星系のほとんどの可住惑星で同じような光景が目に出来るだろう。
ここファンダル星系の第四惑星ラーズもそうだ。しかし、星系政府の法律では賭博などの遊技場は宇宙港付近には作れないのだ。そうでなくとも治安が悪いというのに、賭博場などでさらに悪化させる訳にはいかないという政策だ。
場所の選択を間違ったなと、若者は舌を鳴らした。相手が船で来るものだと思い込んでいたせいで、宇宙港の近くを指定したのだ。こんな事なら、行きつけた酒場にするんだったと後悔しても後の祭り。
と、ドアが開かれて新しい客が入ってきた。漆黒のフードを目深にかぶり、光沢のないマントで全身を覆っている。フードの中の顔も見えないようにマスクのようなものが口元についている。
ソーサラーだ。
その場にいた客の口数が急に少なくなっていった。
全銀河で最も貴重な存在であり、人々が話す時には声をひそめる存在。これに匹敵するのは海賊くらいだろう。もっとも意味は逆だが。
恐らく今到着した船から下りてきたのだろう。ソーサラーは船の運航以外の何ものにも縛られる事はない。客よりも先に降りる事も可能だ。
まさかな。
若者はソーサラーにちらっと視線を向けた。自分と契約しにきたソーサラーかと思ったが、そうではなさそうだった。黒いマントは《企業》のソーサラーの制服だ。そして、《企業》が一個人のためにソーサラーを貸す事はない。
ソーサラーから視線をはずし、改めて店内を見回す若者の目がテーブルの一つに止まった。
見覚えのある姿があったのだ。
どこで会ったろうかと考えるより先に、若者は女性二人に歩み寄っていた。
「あら、クレイ。どうしたの、こんなトコで？」
女性の一人が声を掛けてきた。
無重量の世界を模したような舞い上がった髪の毛はオレンジやバイオレット。下の服はそれに匹敵するようなショッキングピンク。見事な色彩感覚にめまいがする。
しかし、美人だ。
「ちょっとね。人待ち」
クレイと呼ばれた若者は何げなく答えるが、まだ名前が思い出せないでいるらしい。
「女？」
もう一人が訊いてきた。
「まさか。君たちを放って別の女性に声を掛ける気はないね」
「口だけはいつも達者なんだから」
クスクス笑いながら彼女たちはクレイを見上げる。似たところは何もないのに、妙に同じような笑顔。
「ところで、失礼なんだけど、君たちの目映いばかりの美しさにクラクラきてて、名前が思い出せないんだ……」
クレイが全く悪びれずに言うと、二人は意味不明のクスクス笑いを漏らした。
「あら、連邦警察指折りの腕っこきでも、忘れるなんて事あるの？」
連邦警察――その言葉が耳に入ったと同時に、クレイは女たちから飛びずさっていた。
クレイが連邦警察官だというのは極秘事項だ。この星系に赴任して以来標準年で二年、誰にも明かした事などないのだ。
敵だ。
相手が何者か考えるより先に、クレイの右手はショルダーホルスターからレイガンを抜いていた。
女たちの動きはそれよりワンテンポ遅れていた。正確に言うなら、クレイの反応が恐ろしく速かったのだ。
「連邦条約に基づいて……」
銃を突きつけて、お決まりの台詞を口に出したところで、クレイは口をあんぐりと開けた。
女たちの顔が二つにぱっくりと裂けたのだ。
中から出てきたのはパルスレーザー砲の銃口。
どこで見たなんてもんじゃない。あのドロイドはカジノの入り口に立っている受付嬢に使われている量産型じゃないか。
クレイは己の迂闊さに呆れながら床に転がった。
直後、レーザーが空間を貫く。
焦点距離を絞り込んだレーザーは背後の壁を焼く事もなく、消える。
周囲の客がようやく何が起こっているのか気づいた。最初はクレイのレイガン、そして、女の顔を見て。
「か、海賊だっ！」
大の男が叫びを上げて椅子から転げ落ちた。
巻き添えを食っては割りがあわないとばかり、一斉に出口を目指す。
ソーサラーだけはカウンターに座って平然とグラスを傾けている。ソーサラーに危害を加えれば極刑なのだ。ある意味、これ以上安全な職業はない。もっとも平均寿命はかなり低いと言われているが。
クレイは出口に殺到する集団の先頭に割り込み、もがくように酒場を出た。途中で肩に当たったケァウのくぐもった叫びを耳にしたが、この際、勘弁してもらおう。両生類のような連中の柔らかい皮膚はこういう状況には向いていない。
クレイの脳裏をソーサラーの事がよぎったが、それどころではない。これを切り抜けたらコンタクトの方法を改めて考えよう。
酒場を一歩でると、むき出しの路面と行き交う車、そして轟音が唸る、めまいを起こしそうな空間。
ほんの一五〇メートル先にはファンダル星系で最も大きな宇宙港があるのだ。日に二〇回くらい大気を切り裂くシャトルの轟音が街を揺るがすが、建物も人々もそれで悲鳴を上げるほどヤワではない。
クレイは通りに出ると、逃げ出してくる客から脇に逸れてドロイドを待ち受けた。出てきたところでレーザー砲を破壊するつもりだった。
が……。
不意に爆発が起こった。
背後から。それも五メートルと離れていない。
爆発したのは酒場の外壁だった。
爆音が静まり返らぬ内に足音が二つ。
考えるまでもない、連中だ。
クレイは後ろも見ずに通りの反対側に走った。背後から狙われてはたまらない。なんの防備もしていないのだ。
迂闊だったと嘆いても始まらない。余計な装備をして身分を疑われては元も子もなくなる仕事の最中なのだ。
通りを渡り、ビルの狭間に駆け込んだ瞬間、壁面が音を立てて蒸発した。ちょうど頭のある高さだ。
クレイは穴の開いた壁を一瞥すると肩をすくめて駆け出した。
レーザーの出力は大きいが、土台が良くないらしい。二本足で走りながら狙いをつけるには、量産型ドロイドでは無理があるのも当然だ。
こちらが動いていれば、そうそう当たる心配はなさそうだ。
そう判断して、クレイが作戦を変更しようとした瞬間、頭上から爆音が迫ってきた。
見上げれば、ビルの狭間を縫うようにして、ライトを浴びて白銀に輝く機体が降下してくる。
轟音を聞くまでもない。偏平なシルエットはエアクラフトだ。
完全に航空法違反の高度をさらに下げてくる。こんな無茶をするのは連中しかない。
海賊だ。
クレイの追っている海賊バルウェルが先手を打ってきたのだ。
とりあえず、今は逃げるしかないか。
そう判断するが早いか、クレイはドロイド二体とエアクラフトに背を向けて走り始めた。
エイのようなエアクラフトはさらに高度を低く取り、風を吹き降ろしながらクレイを追い始めた。
２
海賊――一定宙域に巣くう犯罪結社の事を呼ぶ時の便宜上の通称だ。もっとも、遠い過去、今や幻となった地球上にいたという海賊などどの惑星の海洋にも存在しないので、決してまぎらわしい呼び名ではない。
このファンダル星系にも海賊がいた。
最初の内こそ盗賊に毛が生えた程度の集団だったのが、いつの間にか星系政府を脅かすほどの力を有する犯罪結社に育っていた。事態を重く見た政府は連邦警察機構に捜査と海賊撲滅を依頼し、機構はそれを受けて極秘裏にクレイほか三名の捜査官を派遣したのである。
そして、二年。
海賊の姿はおぼろげながらわかってきた。バルウェルという男が首領で、複数の基地を持っている。その内、三つはすでに判明していた。そして、海賊に潜り込んでいた捜査官がようやく海賊の本拠地を見つけた。
だが、その連絡が来た時、クレイは他の星系にいた。
まずい事に、仕事とは何の関係もない隣のキーワンの第二惑星エルだった。知らぬ者とてない歓楽惑星である。言い訳など立つはずもない。
何食わぬ顔でこっそり戻って来てみれば、定期的にクレイが見る街頭のメッセージボードに暗号メッセージだけが残っていた。但し、五〇時間前のものである。
海賊の本拠地はメルコン。わずか九〇光年ばかり離れた星系の第三惑星δである。ファンダルでの基地は判明していたのだが、本拠地がわかるまで放置しておいたのだ。これで攻撃ができる。
だが、慌てて動こうにも船はない。定期便は一五〇時間以上先となれば、後はフリーのソーサラーを雇うしか方法はない。情報屋から最高のソーサラーと連絡が取れると持ちかけられ、そして、先ほどのヴィジフォンでの会話となったのである。
「くそう……。ソーサラーが雇えりゃ、こんな面倒もねえってのに――」
ぼやいてみても、仕方がない。第一、今はそれどころではないのだ。
クレイは後方から追ってくる二体のドロイドを確認して溜め息をついた。
元の美しい顔を造っていた人工表皮は剥がれ、クレイの反撃で焼けただれている。その下の金属骨格は二つに割れ、そこからのぞいているのはレーザー砲。恐らく、体内にレーザー発信器があるのだろう。
それにしても、これだけ出力の大きいレーザーを発射するには相当なエネルギーが必要だ。加えて、二本足で走っている。
海賊どもは予想以上の技術力と経済力を得たようだ。暗黒の千年期以前の遺跡でも発見したか、それとも、バックに大物がついたか。どちらかだろう。
また調べなければいけない事が増えたな。
クレイが肩をすくめた瞬間、目の前で爆発が起こった。
上空から発射されたロケット弾だ。
気づくより早く、クレイは横っ跳びに飛んでいた。
バラバラと降りかかるコンクリートの破片を引っ被りながら、ビルの陰に転がり込む。
「くそっ！ 一張羅が台なしだ……」
埃まみれのジャケットを叩いたところで、裾に空いた焼け焦げた穴に気づいた。ドロイドの放ったレーザーがかすったのだろう。
「あの機械野郎がぁ！」
声色が変わった。
「人が安月給から無理して買ったヴァルアーニのジャケットなんだぞ！」
クレイは叫びを放つとビルの陰から飛び出した。
途端、一条のレーザー光が頬をかすめた。
もっとも目には見えないので、痛みを感じてそうだとわかったのだが。
慌てて陰に逃げ込み、頬に手を伸ばす。
肉の焼ける嫌な臭い。
さして深くやられた訳ではないが、痛み以上に怒りが膨れ上がった。
「今度は俺の顔に傷つけやがったな……」
低いつぶやきを漏らし、クレイは腰に回したベルトの後ろ側から円盤型の物体を引き千切った。ホイールボムである。
「これでも食らいな！」
言うなり、それを道路に転がす。
円盤はよろよろと転がったかと思うと、急にスピードを上げ、五〇メートルほど走ったところで閃光と共に爆発した。ちょうどドロイドがいる辺りである。
間髪を入れず飛び出したクレイは出力最大にしたレイガンのトリガーを絞った。
不可視の光線が一体のドロイドの胸に吸い込まれる。
派手な爆発。
「ざまあみやがれ」
もう一体に銃口を向けた時、グリップ脇のライトが赤く点滅しているのに気づいた。バッテリーが上がったのだ。
「さっき撃ち過ぎたな……」
舌打ちに応えるように、爆煙の中からドロイドが現れた。人工皮膚は焼けただれ、溶けたゴムのように垂れ下がっている。起きたての子供のパジャマ姿のようにだらしない。
パルスレーザーの砲口がクレイの方を狙っている。
まずった。
そんな思いなど浮かべられる訳もない。
しかし、実際には、このドジつまらんミスしやがって、とここまで考えている余裕があった。
なんて事はない。レーザーは発射されなかったのだ。
理由を考えている暇もなく、クレイは走りだしていた。
恐らく、爆発の煙でレンズが汚れたとか、衝撃でどこかがトラブったとか、そんな理由だろう。直るまでに逃げてしまうに限る。
ジャケットの怒りをぶつけ足りないが、ひとまずおいておく事にして、クレイはレイガンをホルスターに戻した。そうして、大通りに出た途端――。
上から銃撃が襲い掛かった。
「まだいやがったか……」
泣き言を言っている暇もない。
一旦上空で様子を見ていたエアクラフトがクレイを発見して降下してきたのだ。
ところが、ロケット弾は二発で品切れらしい。それで銃撃となったのだ。
「お互い、しけてるな」
つぶやいてから、顔をしかめて付け足す。
「もっとも、こっちには鉛弾もないけどな」
後ろ手に回した右手を振り向きざまに振り上げる。
「これで完全に打ち止めだ！」
投げたのはさっきと同じ円盤である。勢いよく回転しながらエアクラフトに向かって飛び、機体の鼻面で閃光と化した。
エアクラフトは空中でよろめいたが、すぐに体勢を立て直した。効果はなかったようだ。
「無人機か……」
目算が外れたか、クレイは派手な音を立てて舌を打つ。
さて、どうする？
クレイは周囲を見回し、逃げ道を探った。
路肩に一台の車が停められている。今しも持ち主がドアを開けて乗り込もうというところ。
「ちょっと待て！」
そう言いかけた途端、目の前の車は火球と化した。
爆煙と炎。
衝撃をまともに食らったクレイは吹っ飛ばされて、空を仰ぐ。
エアクラフトがもう一機、滞空していた。機首には粒子ビーム砲。車はこいつに蒸発させられたのだ。
「ヤツら、無茶しやがる……」
クレイが立ち上がろうとした瞬間、エアクラフトからだみ声が轟き渡った。
「動くんじゃねぇ、クレイ！ 骨も残らねぇようにされたいかよ？」
声を聞くより早く、クレイは走りだしていた。
「てめえ！」
叫びと共に、ビームがクレイの行く手を蒸発させた。
だが、それくらいの事は予期できる。走り出したと同時に左にターンし、大きく回り込む。
「ロッズか……」
クレイはつぶやいた。
海賊の殺し屋で、半端仕事を専門に受け持っている男だ。早い話が三流である。そんなヤツに狙われたというのは、あまり自慢できる話ではない。情報が漏れているという事だ。
「てめえ、すぐに止まらねェと心臓にぶち込むぞ！」
ロッズの怒声。
「おまえの腕でそんな器用なマネができるかよ！」
叫び返す。
その時、轟音と共に上空からもう一隻、漆黒の機体が舞い降りてきた。
可変エンジンのおかげで低速の滞空も可能な万能型だ。今まで見た事のない機種である。
また新手か!?
思わず身構えた時、
［クレイドル・φソンってのは、おめえか？］
野太い声が走るクレイの耳元で聞こえた。
高速会話専用の圧縮言語だ。指向性音波で、疑似音源をクレイの耳元に造っているのである。
「そうだ」と小さく答える。こちらは普通の音声。
［仕事の契約に来たんだが、忙しそうだな。今回は見送るか？］
「仕事？ ソーサラーか？」
［他に予定でもあったのか？］
「まさか。契約はしたいが、この連中が許してくれそうもない」
［面倒なら片づけてやってもいいぜ。但し、契約外だから割高になるが］
「いくらだ？」
［そうだな……エアクラフト二機、ざっと五〇〇ってところか］
「五〇〇！ そりゃぼったくりだ!!」
［ミサイル二発使えば二〇〇は吹っ飛ぶんだぜ。それに危険手当だ。安いもんだ］
しかし、それにしても高すぎないか――そう言おうとした時、ロッズの叫びが割り込んできた。
「そこの黒い機体！ 邪魔するなら一緒に叩き潰すぞ!!」
ロッズにはクレイと黒い機体のパイロットの会話は届いていない。しかも、圧縮言語のため、会話はほんの数秒で済んでいる。ロッズにとって待ち時間はないに等しい。
「どうする？ あんな事言ってるぞ」
クレイの問いに、返答はなかった。代わりに、平静な声で訊いてきた。
［契約内容は大体把握してる。条件はどうする？］
「こんな状況でする話か!?」
［いや、契約しないならいいんだが］
その途端、ロッズの放ったロケット弾がクレイの背後で爆発した。衝撃で前に吹っ飛ばされる。
「する！ するから、連中をなんとかしてくれ」
［条件は？］
「なんでもいい！ 好きにしてくれ!!」
［了解］
その声になんとなくほくそ笑みのようなものを感じ、クレイは嫌な予感を覚えたが、後の祭り。
クレイと併走していた黒い機体は凄まじい勢いで上昇したかと思うと、ロッズのエアクラフトの背後に回り込んだ。狭いビルの狭間で容易にできる技ではない。
勝負は一瞬だった。
黒い機体から放たれた二条のビームがエアクラフト二機を叩き潰し、爆発させた。わずかな破片を除いて、空中で蒸発してしまうほどの大出力の粒子ビーム砲である。
ついでに、まだ追っていたドロイドの一体を片づけ、黒い機体はクレイの頭上でホバリングした。
［降りるのも面倒だ。上ってきてくれ］
昇降リフトがするすると伸ばされ、クレイの足元に降りてくる。
「くそ……ロケットも使わないで済ませやがって。ぼったくられたな」
クレイは黒い機体の腹部に開いたハッチへと引き上げられながら、ポケットマネーにいくら余裕があったかと頭の中で計算していた。
３
ハッチが閉じられると、クレイはリフトから降り、目の前に続く狭い通路を進んでいった。
外観から考えていたよりも遥かに狭い。どうやら大気圏外――宇宙空間での使用を前提に設計された機体らしい。つまり、母船と惑星の間をつなぐシャトルである。
この様子ではコンピュータ制御のオートマティックで、乗員は一名というところか。
クレイは管理者の気質がわかるような、ゴミひとつない暗い通路を機首方向へ向かいながら、そんな事を考えていた。
しかし、それよりももっと気になっていたのは、これから会うはずのソーサラーに関してだった。
恐らく、ソーサラー本人は軌道上の母船にいるのだろうが、一体どんなヤツなのか。情報屋は『最高の』と折り紙をつけていたが、この銀河中にいるソーサラーの一％にも満たないフリーのソーサラー相手に、そんな形容は成り立たない。最高でなければ生き延びられないのだ。
それにクレイ自身、直接ソーサラーと会った経験はない。せいぜいさっきのように宇宙港や酒場ですれ違うくらいが関の山だ。それだって《企業》仕えのソーサラーだから、黒ずくめの異様な制服と周囲の怯えるような視線しか印象に残っていない。顔などあってなきがごとしだ。
ソーサラーというだけで、個人の人格などなくなってしまうのだ。人々の見るのは、いまや銀河一貴重な資源としてのソーサラー、そして、その九九％以上を手中に入れ、銀河をコントロールしている《企業》――プレスタイン社の幻影だけだ。
かくいうクレイの実家も銀河でも五指に入る兵器企業φソン財団の経営者だが、プレスタイン社に対しては何の手も打てない。機嫌を損ねでもすれば、恒星間貿易は不可能になる。恒星間宇宙を渡るには、唯一《企業》だけが保有するソーサラーとウォルドゥ・システムが必要なのだ。
と、気がつけば目の前を隔壁が遮っていた。操縦席がその向こうにあるはずだ。
どうやれば開けてもらえるのかと考えた時、隔壁はスムーズに横に滑って開かれた。
同時に声が掛かる。
「ようこそ、《タングβ》のコクピットへ」
女の声だった。
それも若い弾んだ声。
クレイの目の前には曲面を描いたキャノピー越しに夜の空が広がっている。汚れた空気で霞んだように見える。
その手前と天井には計器が弧状に並び、輝度を落とした照明の中で色とりどりのランプをきらめかせている。
そして、シートが二つ、左右に配置されている。
右側のシートに、声の主は収まっていた。
振り向かずに、キャノピーに映ったクレイを見て左のシートを指で示した。
「座った方がいいわよ」
理由は訊くまでもない。重力圏脱出のために加速するのだ。
クレイはシートに回り込み、四点式のベルトを肩に回してロックした。
その途端、クレイの体はシートに叩きつけられた。シートの緩衝装置でさえ殺しきれない凄まじいＧ。
さすがのクレイもこれ以上は意識を保っておけないというギリギリの瞬間、不意にＧは消失した。今度は体が浮き上がるような感覚に取って代わられる。
まさか、もう重力圏離脱したんじゃねーだろうな。
そう思わせるほど急な加速と減速だ。もちろんまだ大気圏内だ。
「なんて操縦しやがんだ！ 殺す気か!?」
クレイは相手が女だという事も忘れて怒鳴った。
「あれだけ耐えられたのは、あなたが初めてよ」
そう言って、パイロットはクレイに振り向いて笑いかけた。
抗議を続けようとしたクレイの口が丸く開いたままで止まった。
美人だ。
いや、美少女といった方がいいだろうか。クレイはとっさに相手の年齢を当てる事が出来なかった。
長い黒髪は後ろで無雑作にまとめられ、化粧っけはなし。着ているものはといえば、飾りのないスペースジャケットと一般に呼ばれる作業着。ただし、その色は血のような深紅だった。宇宙船乗りにしては不吉な色だ。
ほっそりと整った顔立ちは並のファッションモデルが束になっても敵わないに違いない。意志の強さを表すような唇は笑っていても決して大きく開かれはしないだろう。
そして、何よりクレイを惹きつけたのは、理知的というにはあまりにも輝いている瞳だった。
「さて、クレイドル・φソンさん。契約についてはさきほどの話のとおり、無条件でこちらの要望を飲んでくださいますよね？」
知らず知らずの内に息を詰めていたのだろう。クレイはその娘が話しかけてした瞬間にむせ返った。
「大丈夫？」
「……ああ。まさか、さっきの話をしてたのは……」
［そういう事だ。わからなかっただろ？］「ってね」
圧縮言語がクレイの耳元でドスの聞いた声でささやき、その後で娘がいたずらっぽく笑いかける。
「サイバーか」
答える代わりに娘はこめかみを指で押さえた。
サイバー――主として知覚補助の為に人体に人工的な機械を内蔵している者の総称である。かくいうクレイも圧縮言語の受信用にチップを埋め込んでいる。下っ端捜査官には発信用は必要ない。悲しいかな、命令は受けるだけなのだ。それ以上を望むなら自費だ。経費は落ちない。各星系の寄せ集めから成立した連邦警察の脆弱な経済基盤では贅沢はできないのである。
「契約については本人に会ってからだ」
クレイは腕を組んで冷たく言う。
［言質は取ってるんだぜ、クレイドル］
くすくす笑いながら、娘が言う。
「ややこしいから、それは止めろ。それと俺をクレイドルなんて呼ぶな。クレイでいい」
「了解、クレイ。私はジェリー。もっとも誰もそんな名前じゃ呼ば――」
急に娘――ジェリーの声が途切れた。怪訝に思ったクレイが視線を向ける。
「海賊の追手が来たわ。《スレイプニール》まで案内する訳にいかないから、迎撃するわよ」
母船の名前だとはわかったが、どこかで聞いた覚えがある。どこで耳にしたのかと考えた時、小さく警報が鳴った。
指向性のない圧縮言語で［後方から二機の航空機接近中］さらに、兵装のデータが続く。
重武装だ。加えて、大圏運動性能は明らかにシャトルより航空機の方が勝っている。
クレイは不利を悟った。
「何か手伝おうか？」
「不要！」
ジェリーは叫びざま、操縦桿を倒した。
《タングβ》の黒い機体がそれに応えてローリングする。
それからの数分はクレイにとって驚くべき経験だった。自分の中で常識と思っていた事が次から次へと覆されていく。
ジェリーはまるで海賊の手足れどもをまるで赤子のようにあしらった。
操縦桿を持つ右手は恐ろしいほど正確にミリの単位以下を刻み、左手は目で追い切れないほどのスピードで計器の間を目まぐるしく疾り回る。あたかも、《タングβ》が自分の肉体であるかのように操る。
クレイは自分が操縦していたら、勝負はどうなっていたかわからないと認めざるをえなかった。
ほんの五分。
それがジェリーが二機を撃墜するのに費やした時間だった。
「さて、《スレイプニール》に戻るわよ」
ジェリーは何事もなかったかのように言ってのけ、次いでクレイの驚愕にさらに拍車をかけた。
「あ、そうそう。私の事はＪＡＣでもジェリーでもお好きな方で呼んで」
「ＪＡＣ!?」
クレイの声は完全に裏返っていた。
「ま、まさか、あんたが伝説の正体不明のソーサラー!?」
航宙艦《スレイプニール》を操り、宇宙を翔る謎のソーサラー。正体も姿も知られずに次々と依頼をこなして消えるという、もはや伝説と化した存在である。このため存在しないのではないかという噂さえあるほどだ。
「そんな大袈裟なもんじゃないわ」
クールに言い捨てると、ジェリー――ＪＡＣは《タングβ》をさらに加速させてファンダルの衛星軌道にもっていった。
その様子を横目で見ながら、クレイは茫然とつぶやいた。
「参ったな、あのヒヒジジイ、確かに『最高の』ソーサラーだよ……」
クレイには情報屋のほくそ笑みが目に浮かんでくるような気がした。
［軌道に乗せたわ。後は任せたわよ、ＷＡＬ］
圧縮言語で母船と連絡を取り、ＪＡＣはシートにもたれる。
やがて、キャノピー越しに母船が巨大な姿を現した。《スレイプニール》である。
クレイは外観を一目見て思わず腰を浮かしていた。
「これは……人類の物じゃないな？」
全体を構成する複雑な曲線。それに交わる有機的な曲面。この銀河ではテブエ＝エメムクォの感覚が最も近いかもしれない。それにしても、ここまで複雑な物を造れる技術力はないだろう。大戦前の人類であれば、可能かもしれないが……。
肝心なのは、船体デザインに上下左右の明確な区別がない点だ。宇宙に進出し、無重量の世界にほうり込まれても、人類は上下の感覚を無意識に保ち続けていた。どうしてもデザインは重力を解き放つ事はできなかったのだ。翼を持っているクスルグフィンヴが近いかもしれないが、三次元的というだけで、しょせんは重力の影響から抜け出せていない。しかも、〇．五Ｇ程度の人工重力を作り出す技術が確立してからは、ますます上下のデザインがはっきりするようになってきた。
「誰が作った？」
クレイは思わず訊いていた。
「それ以上詮索するんなら契約破棄するわよ」
硬い声で冷たく突き放され、クレイはシートに沈み込んだ。
一体、何者なんだ、このＪＡＣというソーサラーは？
未だ信じられずにいるクレイは、それでもこの二〇にも満たないように見える少女がＪＡＣだと認めない訳にはいかなかった。
クレイの疑念にはおかまいなしに、《タングβ》は《スレイプニール》の船体に開いた巨大な穴に飲み込まれていった。
以下続く……